おもてさまのたたり
遠山地方では、霜月祭に登場する神さまのお面のことを、おもてさまと呼びます。
おもてさまは、神さまの化身ですから、あらたかなものとして大切に保存されてきました。
おもてさまが人間の目に触れるのは、お祭りの夜だけですが、昭和のはじめに一度だけ、
写真にとることを許されました。
これは長野県の神社協会が、本にまとめるために行ったものです。
しかしいままで一度もなかったことでしたから、村をあげての大さわぎになりました。
神社協会の申し入れを受けて、氏子の会議がひらかれ、もめにもめましたが、とにかく神
さまにおうかがいをたてることにしました。
その方法ですが、ねぎさま、氏子総代五人が、おみくじ五本をひき、そのうち一本でも神
さまのおぼしめしにかなわぬときは、写真はとれないことになりました。
ところが五本のおみくじは、いずれもこのたびに限り、写真にとることを許すという、神
さまのお許しが出たのです。
こうして霜月祭のおもてさまは、本になって世の中に公表されました。
そこまではよかったのですが、その翌年の九月のことです。
木沢の町が火災になって、二十四戸が丸やけとなりました。
ところが火元が宮司の家でしたから、こんなうわさが立ちました。
「宮司さまは、おもてさまを写真にとらせた責任者だ。それで神さまのバチが当たった」と。
昔からおもてさまは、あらたかなものとして、あがめてきただけに、むらのしゅうが神さまの
たたりだと、信じたのも無理からぬことでした。